<< 前のエントリ |メイン | 次のエントリ >>
2005 年03 月08 日

種として適当な不適当

物理学では全ての事物は安定する方向へと流動する。しかし、例外的に反対の方向へベクトルを持つ者も居る。自分を含め。
本来、動物は種に利益となる行動を取る個体群である。例えば仲間に敵の位置を知らせる、集団で狩りを行う、といった具合に。ただし、勿論個としての利益になる事はプライオリティが高いけれども。
さて、ここで人間に見られる種としての例外について考えてみようと思う。「同種を殺す」人間。この一見種として利益に矛盾するような行動はライオンにも見られる。オスのライオンは基本的にライオンの一集団には1匹しか存在しない。その集団に別のオスのライオンがやって来た場合、オス同士の殺し合いが始まる。その勝者が集団のオスライオン≒ボスとなる。しかも元々居た子供のライオンは全て殺される。トリビアでやっていたこのライオンの行動。これはメスが再び子供を産めるようにするためだ。もう一度子供を作る=「強い種を残す」という目的があるのだろう。
さて、人間の場合はどうだろう。同じ種を殺す目的は何だろうか。個人的な見解から言わせてもらえば、これはやはり「強い種を残す」為だろう。科学という強力な力を得て、常に安定した生活を送れるようになった人間。しかし、中にはこういった「同種(人間)を殺す」人物も必要なのではなかろうか。勿論、そんな人間ばかりではあっという間に人類は滅びてしまうだろう。しかし、間違いがあるからこそ訂正する事ができる。欠点、短所があるからこそ努力することができる。弱点があるからこそ成長することができる。敢えて不安定な方向に行く事が人間という種としての利益になるのだろう。
ここでその「不安定な方向」というものを考えてみよう。「皆と一緒がいい」というのは明らかに安定な方向だと思われる。従って「皆とは別の考え方、独自の路線を進む事」は少なくとも安定な方向では無い。そうなると革命家達は間違いなく不安定な方向へと動く人々だろう。しかし、その結果はより安定したもの種としての存在だと思う。革命というアンチテーゼによって強固な思想の完成へと近づく事になるから。(永遠とか夢とかいった現象を追い求めるヒトは不安定な気がする。)不安定な要素を持つ者。それは必要に応じて絶対に出てくるのだろう。それは必然で正常な現象であって、起こらなければ異常である。さて、自分もその反乱分子、不安定な要素、そういった者に属する気がするのだけれど。他にも「そういうヒト」が居ないか気になるわけでこの情報を発信。共感を得られるヒトを募集中。
#ちなみに共感できないヒトは全く共感できないと思う。安定方向へと落ち着く正常な種に属するから。完全な二極化。

投稿者:未定at 00 :50| 戯言 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

◆この記事へのトラックバックURL:

http://blog.nsk.ne.jp/util/tb.php?us_no=1159&bl_id=1159&et_id=1925

◆この記事へのコメント:

※必須